日本人は海に囲まれた日本列島で暮らしている海洋民族としての歴史がはぐくんだ影響なのか、「外国風が好き」な人の割合が昔から少なくないようです。奈良時代の大仏開眼供養にしても、わざわざインド人の高僧にやってもらってるくらいです。
ところが、好みとしてアメリカ風が好きとかインド風が好き、というのはいいのですが、異国風の思想を無批判に好むというのはやや問題が起きることもあります。アメリカの政治家の言う「自由・民主主義」という言葉などは一番いい例で、当たり前のように存在するものだからこそ、一度きちんと疑ってみる必要があります。
大正の文章で漢字が多いですが、非常に興味深い文章があります。
「吾人は我国近時の論壇が英米政治家の花々しき宣言に魅了せられて、彼らの所謂民主主義人道主義の背後に潜める多くの自覚せざるまたは自覚せる利己主義を洞察し得ず、自ら日本人たる立場を忘れて、無条件無批判的に英米本位の国際連盟を謳歌し、却って之をもって正義人道に合すと考えるが如き趣あるを・・・」
大正8年(西暦1918年)に雑誌「日本&日本人」に掲載された論文で「英米本位の平和主義を排す」という近衛文麿の文章です。
中学生向けくらいに平易にして言葉を補うと
最近の日本の言論人・知識人たちがイギリスやアメリカの派手な言葉に魅了されて
彼らのいう民主主義・人道主義の背後にあるものに気がついていない。イギリスやアメリカは、民主主義や人道主義というタテマエを使って、自分たちの
利己的な欲求を断固として押し通そうとする強いホンネを持っている。自分達が日本人であるという立場を忘れて、無批判に国連は素晴らしいなどと言う人達。
国連が正義や人道にそった組織であるなどと考える人達がいる。(だがしかし・・・、実態はまったくそんなものではないのだ)
となります。これは20世紀初期の文章ですが、21世紀の日本人向けにも全くそのまま使える文章ではないでしょうか?
現代の米国も、右手で「市場開放」と言いながら左手で「自国の権益は保護」しようとします。「国内では規制している農薬を輸出用には認める」的なダブルスタンダードは当たり前のように行われています。
別に英米に限りませんが、国家というのはそういう生き物ですし、これからもそうでしょう。
後発組の立場になったら「機会均等・市場開放」などの「門を開け!」という主張を「平等」という理念で行い、先行逃げ切りの立場になったら 「大量破壊兵器の不拡散」などの「門を閉じよ!」という主張を「平和」という理念で行うわけです。
人間は
「欲しいものは欲しい。独占したいものは独占したい。」
という欲求に極めて素直な生き物であるともいいます。
であれば、全人類が聖人君子であるべきなどと無謀な期待をするよりも
「自分達の利益の最大化と普遍的価値の追求」
という公益と私益のバランスを上手に調和させることを追求していくべきです。
民主主義や人道主義を掲げる英米から真に学ぶべきは、彼らの言う「自由・平等・人道・平和」などのお題目そのものではありません。彼らが「(自分達の)自由」を手に入れるために身につける「不屈の意志というスキル」こそを学習の対象にすべきでありましょう。