この言葉は、「神仏というのは、常に、私たちと共にいらっしゃるが、現実世界の存在ではない。姿が見えないのがあたりまえである。」ということです。神様は目に見えないというのは昔から日本人の精神世界の認識としての常識の一つでした。
仏は常にいませども、うつつならぬぞあわれなる。人の音せぬ暁に、ほのかに夢に見えたまふ。(梁塵秘抄)
要は神様仏様は目に見えない尊い存在ということです。うつつならぬぞというのは、現実の目に見える人間とは違うということ。後半は、夢枕に出てくることはあると続きます。
少しだけ視点をずらすと、神仏と人間は暁にほのかに夢に見るくらいの精妙で繊細な感覚でしか交感することはできない、とも読み解くことができます。徹夜明けにもうろうとしている早朝に、ふっと何かが直観的に浮かぶ、そうした経験をしたことがある人はなんとなく納得できる歌だと思います。
昔は夢のお告げというのは現代よりも重要度が高かったらしいです。あまりロマンのない言い方で分析してしまうと、「潜在意識に質問を投げて、無心に答えを待つ」というのが夢のお告げの基本システムになると思います。が、その分析の範囲だけにとどめてしまっては風情がないでしょう。