理念やビジョンとか夢みたいなものは「フワフワしたもの」のほうがそれらしく聞こえます。夢は「海賊王になることです」とか「日本を元気にすることです」みたいなフワフワしたもののほうが夢らしい響きがあります。実は夢がフワフワしたものになるのは、正しいことです。なぜなら、夢は自分のためのものであると同時にみんなで共有するためのものだからです。
例えば「日本を元気にしよう!」というあちこちでよく耳にするフレーズを考えてみましょう。「日本人はみんな病気で死んでしまえ」と思っている日本人は恐らくいないわけで、「日本人を元気にしよう」という理想は、誰にとっても「結構な話じゃないか」という反応になる言葉です。
なぜなら、これらくらい抽象度が高い言葉だと、聞いた人はそれぞれ「好きなように解釈ができる」からです。
先生の仕事をしている人は「日本を元気に→だから→生徒が成長するいい授業をしよう!」と思うことができます。レストランの経営者は「日本を元気に→だから→美味しいものを食べて幸せになってもらおう!」と思うことができます。どの世界にいる人でも「日本を元気に→だから→自分の活動を活性化しよう」と思うことができるわけです。
これがフワフワした抽象度の高い言葉のもつ最大の魅力です。抽象度が高い理想は「みんなで共有」することができるのです。
これがもし例えば、「日本を元気にするために、医療費を完全無料にしよう」という話だったとします。具体的な対策が入っているので具体的になっています。ただこういう具体的な政策というのは、賛成と反対が必ず綺麗に別れるものです。もし医療費を無料にという話なら「財源はどうするんだ?さらに若者や中年の勤労者に増税したら、過労死が増えかねないぞ」というような、具体的な批判が呼び起こされます。
総論賛成各論反対という慣用句がありますが、抽象度の高い話ではあまり対立がおきず、具体的な話になると利害の対立が明確になっていくるのは、人間社会の性質として当然そうなるのです。
夢や理念といった段階の話は、なるべく幅広い人達に共有できるほうがいいです。なので、共有しやすくするためには、なるべくフワフワしたレベルでお花畑的に言語化するほうが実は合理的なのです。