古事記や日本書記は奈良時代当時の国家プロジェクトなので、当時の政権の正当性を支える内容になっています。つまり「日本は天皇を中心とする神の国である」(森元総理)のような世界観を支えるのにふさわしい内容に編集されていると考えられています。
ただ、そうはいっても編集された部分はかなり少ないのではないかというのが率直な意見です。歴代天皇の記述に関しても、神格化して名君として褒めたたえる話もあれば非道な暴君として記述をしている話もあり、全ての天皇を神格化しているわけではありません。
雄略天皇→武断的で果断な性格。兄弟の皇子達を次々と処刑して天皇の座を得る。即位後も人を処刑することが多く「大悪天皇」と称される。(※注 古語の悪は「強い」とか「苛烈な」などの意味で必ずしも「邪悪」ではない。)
この程度なら外国の王家の歴史にもよくある話ですが。
仲哀天皇→西の宝の国(朝鮮半島)を与えるという神託を無視したところ祟りで死んでしまう。(摂政として跡を継いだ皇后が神託を受け入れて朝鮮諸国を服属させて凱旋する。)
武烈天皇→法令に詳しく裁判に優れ、無実の罪はかならず見抜くなど名君としての面ももつ一方。残虐なことを好む。妊婦の腹をさいて胎児を見る(西暦500年)、女性たちに馬の交尾を見せて陰部が潤っていたものを処刑した。民の窮状を無視して酒池肉林の宴にふけった。
※武烈天皇の残虐行為の話は日本書紀のみが記録
このあたりになると「神格化」とは程遠い記述になってきます。
王朝交代があった歴史を記述するなら、「王朝の最後の君主を暴君もしくは無能な君主として描く」というのは歴史書の常道です。(フランス革命本でのルイ16世、三国志の劉禅、などがよい例。)
ただ「神武以来、一つの血筋の天皇がずっと続いている 」という皇統の古さや正当性をPRするという視点だけで編集するのであれば、王朝交代を匂わせるようなエピソードをあえて入れる必要性はあまりありません。