もともとの 原始仏教の教えにのっとるなら、葬式不要。ただ、習俗のパワーは強烈なので、無視するにはエネルギーがいる。断固として無視したい場合は何かしら理屈をつけてもらうといいという本です。たとえば、位の高い戒名をもらおうとしたらカネがかかるのは当然の話で、嫌ならもらうなといった正論が実に気持ちのよい本。
葬式不要論ではないが
死んだ人と丁寧にお別れをしたいというのは普遍的な欲求だと思いますし、そこに死後の世界を司る聖職者という人たちが関与することには必然性があると思います。
ただし、一世代前のしきたりで葬儀をやる必要があるかという点は意見が分かれるところでしょう。いざとなってから周りに振り回されたくてない場合は、自分の方針をきちんと決めておく必要があります。
天皇家の葬式は何式か?
これは、昭和天皇や大正天皇や明治大帝は神道式です。ただし、奈良時代の仏教伝来からこの方、多くの天皇が法皇として出家していたことから推測がつくように、聖徳太子や推古女帝の時代以来、「葬式はお寺の役目」という伝統は非常に長く続いていました。
つまり、天皇家は長い間仏式でやっていたが、事情によリ孝明天皇(明治天皇の一代前)以降は神式になっています
しきたりや伝統というのは日本で一番伝統に縛られる家と思われる天皇家にあっても変容しているということです。
常識という言葉で圧力をかけてくる人たち
さて、自分の時代の常識をそのまま下の世代に押し付けたい人たちはいつの時代にもいるものです。この善意の迷惑への対応方法は2つしかありません。
1.何も考えないで、常識通りにする
2.自分で決断して、完全否定する
どうでもいいことは流行や常識に従い、人生にとって非常に大事なことは自分のやりたいようにやる、というのが大事だと思います。
人生にかかわる大事なことに関しては常識的な話は単に完全否定してもいいのですが、なぜ一応の理屈をつけておいたほうがいいのかというと、みんなと違うことをし続けるのはエネルギーがいるからです。
どこは主張をすべきところか
ファッションが大事な人は、好きな服を着ていることが大事ですのでありきたりな制服しか着られない仕事は基本的に選ばないほうがいいです。逆に、おしゃれには1ミリもエネルギーつかいたくない人は制服しか着られないような仕事をしたほうが、服に気を遣わなくていいので楽です。
全てにおいて思い通りにというのはなかなか難しいことが多いでしょうから、「これは譲れない」という聖域はしっかり決めておくと楽になると思います。
こんな人におすすめ
みんなと一緒を強制されるのが嫌いなすべての人。日本の宗教事情に関しては「日本人のための宗教原論」もおすすめです。