「現代日本」という枠を外して考えると、巫女さんといえば「神様のご神託をくだしてくれる」とか「占いやってくれる」みたいなイメージが出てきても不思議ではない職業です。ただ、現代日本で神社の巫女さんがファンタジー世界のようなことをやってくれそうなイメージは低いです。これは科学時代だから魔法の存在感が下がったというだけの話なのでしょうか。
明治政府の不思議な宗教政策
明治時代の政府が政府方針として「神社から呪術的な機能を追放した(山伏にいたっては存在そのものが禁止された)」という不思議な歴史が日本史にはあります。
この政策は当時の政府の「(弱肉強食の国際社会の中で)日本を欧米みたいな強い国にしよう作戦」の一環です。
明治政府はイギリスでのキリスト教みたいなものが日本にも欲しいと思って神道の国教化を計画しました。
統一された国家宗教があると国全体を1つの大きな目的に向かって動員することのハードルが下がりりますし、1つの道徳的ルールが国全体で共有されると、国単位で何かをしたい時には効率的ですので。
その過程で、「ヨーロッパ人から見て原始人の宗教っぽくみえる要素を神社仏閣から消してしまえ」みたいな意味不明なことをしました。そして、「日本は天皇を中心とする神の国であるぞ」的に全国の神社を国家の組織としての教会的なものにする仕組みを作ります。
この国教化作戦はもろもろの理由で途中で挫折します。が、結果として神社を統治の道具として政治活用する仕組みは中途半端に整いました。
国家管理するとなると「あんまり数が多いと管理が大変(お金もかかるし)」などの理由で、神社の統廃合が政治主導で行われました。(明治39年神社合祀令)
1つの町に1つ神社がある、1つの村に1つ神社がある、これは「多い」ように見えるかもしれませんが、これでもだいぶ減っているのです。
当時の宗教政策の適当さは、左手で「信教の自由だからキリスト教はOK」といいつつ右手で「政府の世界観とあわないから修験道は禁止(修験道廃止令)」という命令が明治政府から出た、くらいまでを抑えておくとイメージしやすいと思います。
政治的な理由で消えた霊的要素
明治以後、平安時代のように神社にいってご神託もらうみたいなことがあまり一般的ではなくなったため、伝統的な宗教が昔からやってたスピリチュアルなお仕事の多くを、占いや新宗教などの別の人達が担当する構造になってるというのが現代日本の特徴の1つです。
中世以前は道鏡事件や将門の反乱などでも「神託」はわりと重要な役割を果たしていましたが、現代ではほぼ完全に表舞台から消えているのは、上の歴史的事情があります。
単に科学が発達して「ご神託や占い」の需要が薄くなったから、というよりも政府の干渉で巫女や神官のもつ霊的な要素を薄めることを求められる時代があったから、というほうが正確なのではないかと思います。
宗教から非合理な世界をとってしまうことへの疑問
イエスは聖書によれば病人をGODの力でなおしていましたし、空海は病気なおしのご祈祷をしてました(空海さんは「お薬を飲む時にこの祈祷済の霊水でどうぞ」みたいな合理的なことを言う人だったようですが)
宗教というものは、おまじない要素を基本的には持っているものです。それを
・哲学だけ
・社会儀礼だけ
・修行システムだけ
として解読してしまうのはあまり正確ではないと思います。
お寺の精進料理は素晴らしい料理ですし、キリスト教会のグレゴリオ聖歌は素晴らしい音楽です。
ただ、お寺は料理だけではないですし、教会は音楽だけではありません。