福の神・恵方の神(歳徳神)・田の神・新年の霊威そのもの・客神・祖霊などの多様なキーワードが存在する年神様ですが、第一に福の神であり第二に客神であり第三に新年の霊威そのものである、くらいのシンプルなイメージをとりあえず持っておくとよいのではないでしょうか。
・福の神として
福の神という設定ですが、恵比寿大黒や七福神的な「福徳をもたらす神」というイメージです。「お年玉」のような正月の風習は福の神っぽいです。
その年の恵方からやってくる神という面もあったようです。
同じ福の神が、農村にあっては田の神、都市においては福の神といった具合で、場所によって変幻するというイメージだと解釈しやすいでしょう。
恵比寿さんにもやや共通しますが「遠くからやってきた存在が福をもたらす(まれびと)」という発想があり、これが次の「客神」に続きます。
・客神として
門松などの飾りをたてて「お迎えする」という意味では客神(来訪する神)と言えます。先祖神という解釈もありますが、これも「異界から戻ってきた先祖神を迎える」という意味ではお客様としての神です。
また、鏡餅や餅花を飾っておいて食べるという風習は「神人共食」のわかりやすい例として解読することができるでしょう。いうなれば神にささげたお餅を食べるというのは神様の力をおすそわけしてもらっているわけです。
なお、門松については「飾り」説だけでなく「影向の松」的に「依り代」説もあります。地域により「神の依り代」という説明にしたほうが納得しやすい事例もあるようです。(対馬)
年神様のやってくる方向は、その年の恵方からやってくるという発想もあったようです。
この「恵方」という発想は初詣で電車で好きなところへお参りする風習になってからはややすたれていました。が、コンビニ各社の影響力によって「恵方をむいて巻物を食べる」という風習が広がったことにより「恵方から福神がやってくる的な発想」が実質的に復活していると見ることもできるのは、興味深い現象だと思います。
・単に年の初めの霊威として
新年にすべてが更新され、一新されるという概念。年の終わりにツミやケガレを祓い新年に新しい命として復活するみたいなイメージ。これは、暦が生まれて普及するとともに普及していったと考えられます。
暦がなければ新年も旧年もありませんので年の終わりもはじまりもありません。年の始まりに人間がパワーを感じるようになったのは、カレンダーや暦を使うようになったことが大きな土台ではないかと思います。日の出はいつもさわやかですが、初日の出にパワーを感じるのは暦の影響でしょう。
暦が広まると同時に「予定をたてる」という思考も発生するのか、昔の農村の春の祭りには「1年の農作業を最初から最後までイメージトレーニングする」的な予祝儀礼的なものも存在していました。
また、明治以降に関しては現行の暦である新暦と、従来の旧暦とが併存する形になったことにも注意が必要でしょう。
現代の年神
現代における年神とは何かというのも複雑な話ですが、少なくとも稲作をしていないなら田の神として見る必要がないのは確かでしょう。
イメージとしては「年が変わることによるニューアルの意識」がベースにあって「客として来訪する神として福の神がやってくる儀礼」くらいに把握しておくとよさそうな気がします。
「大掃除」~「お正月飾り設置」(お越しいただく)~「鏡餅や餅花を食べる&お正月飾り撤去」(お帰りいただく)
までを一区切りにして見てみるとよさそうです。