カレンダーの六曜で吉日や凶日を選ぶという考え方があります。例えば結婚式は仏滅を避けるとか葬式は友引を避けるとかです。これはある2つの場合を場合をのぞいて100%無意味で無価値だと私は考えています。
吉日選びが無意味な時
まず吉日選びというのは「いつでもいいこと」を選ぶ時には便利さや楽しさもありますが、「緊急性があること」をする時にはただ邪魔なだけです。結婚式のようなものなら好きな日を選べるからいいですが、葬式のようなものは緊急に発生するものです。出産も現代の技術では厳密にコントロールできるものでもないので、日取りを選ぶだけ無駄です。
昔の中国大陸の小説をモチーフにしたマンガで「どうしても吉日に産ませたいから、出産日が凶の場合はあえて堕胎させる」という悪いことをする悪人がでてくる話を見た記憶があります。こういう極端な例を考えれば「吉日に執着すること」がいかに無益かは分かりそうなものです。
吉日選びに意味がある時1
ただ、あわせてあげるほうが円滑な場合も時にはあると思います。たとえば「仏滅に仏事は嫌だと硬く信じ込んでいるお年寄りが身内にいて、無視もしにくい」みたいな場合です。
迷信深いお年寄りがどうしても「いやだ」と言い張る場合、ずらしても大きな支障がない範囲であれば考慮してあげることはいいことだと思います。
こういうのは「信じてる人の中ではそうなる」の世界なので外野が何をいっても基本的に無駄ですので、強引に合理主義者への改宗を迫るよりは、迷信深いままでいてもらうほうがスムーズなこともあると思います。こういうのは、暦で吉日選びという風習を消極的に使うタイミングでしょう。
吉日選びに意味がある時2
なお、吉日選びには「迷信深い人の説得」という以外に「祭りやイベントを盛り上げる」という使いどころもあります。「吉日に楽しいことをしよう!」という仕掛けをする場合に活用するわけです。
神事の話であれば、「弁財天の吉日を選んで、弁財天の祭礼を行う」みたいな使い方です。俗事の話であれば、宝くじのお店が「大安吉日、今日は宝くじを買うのにいいよ」と看板を出すみたいな使い方です。
これは、吉日の発想を使うことでお祭り的に楽しく盛り上げようというシチュエーションなので、積極的に使ってよいタイミングだと思います。現代だと「巳の年、巳の月、巳の日」と言われても多くの人が普段使ってない言葉なのでそもそもネタが通じるのかという問題はありますが、なんとなくの楽しさは出ると思います。
まとめ
とはいえ今あげた「迷信深い人のケア」「神事や催事での活用」という2つのタイミングを別にすると、六曜のようなもので日取りを選ぶという風習はメリットに比べてデメリットが分かりやすく多いので、現代ではあまり行われなくなったのだと思います。