日本版の、ノストラダムスの大予言とかヨハネの黙示録みたいないわゆる霊的な啓示による預言書の類です。なので、意味不明の箇所が大半という本になりますが、行間から霊感を得るために読むという読み方には適すると思います。霊能力開発講座に行ってみたいとか、ヒーラーになりたいとか、そういうことを考えたことがある人は読んでみると面白いと思います。
ひふみ神示は、昭和初期の岡本天明(画家・神主)という人のところに1944年頃から降りはじめた啓示を文書化したものです。もともとの霊的啓示はほぼ数字や記号のようなものだけで、その後、色んな人が言葉に翻訳したものが書籍になっています。
個人的な好き嫌いを最初に言うと、私自身はこの本や大本教の本などがもつ、昭和初期の霊能者の人達の作る本の文体はあまり好きではありません。記紀や万葉集などの昔ながらの日本語の文献が持っている日本語の美しさがほとんど感じられないからです。
ただ、文体の美しい美しくないは趣味の問題なので脇におき、中身的には意外と面白さがあります。
例えば
「霊界には時間が無い。」 「改心とはアホになることざぞ、世界中アホ中々ぢゃ、中々アホになれまいがな。」 「仕事は神が与えたり人が与えてくれるのではないぞ。自分自身が仕事にならねばならん。この道理さへわかれば、失業はないぞ。自分が仕事ぢゃからのう。」
などはちょっと面白いです。こういう一応文章として意味がとれる所よりも意味不明な所のほうが多いですが、意味不明感を楽しむのもたまにはよいのではないでしょうか。
また、筆文字の落書きのように見える絵の写真も載っていますが、こちらは抽象絵画に通じる独得の美しさがあります。抽象絵画的なアート的なものが好きな人は、そのためだけに本を買ってみてもいいかもしれません。
明治~昭和初期の日本は政府が宗教統制的なことに力を入れていた時代でした。神社を国の管理下において国教的な立ち位置に持っていこうとしたのです。これは西洋においてキリスト教が社会的に大きな役割をはたしているのを見て神社に同じことをさせようとしたのではないかという推測がよく語られます。
ところでその結果として、神社は「宗教に非ず」とされ、「あの世について語る事」や「怪力乱神について語る事(霊能的なこと)」を封印され、神道は「国民の道徳」的な立位置に誘導されました。一応「信教の自由」というものはあったので、いかにも宗教宗教したことをやりたい神社は、教派神道として民間の宗教団体になりました。
なので、国家神道という国が神社を管理した時代というのは、実は宗教的活動をする主体としての神社にとってはマイナス面も多々あったわけです。
追記
意味不明な文書が多い啓示によって書かれた本を楽しめる人には、アレイスター・クロウリー(英国人魔術師)の書籍(法の書、トートの書など)も面白いかもしれません。クロウリーは安倍晴明ではありませんが、実在の人物ながら伝説的なエピソードと変人エピソードに事欠かない人物です。「とある魔術のインデックス」など日本のファンタジー小説やアニメにもキャラクターとして登場することがあります。