何もかもが嫌でさっさと死んで天国に行きたい、ただ苦しみながら死ぬのは嫌なので楽に死ぬのがいい。そう思っていた時期に読んで、非常に気持ちが楽になった本です。「自殺者は地獄行き」的な宗教屋の説教は全く響きませんでしたが、この本で「イザという時は死ねばいいだけ」と具体的な情報を手にできたことで、逆に非常に心が解放される感覚を味わうことができました。
不思議な話ですが、死にたいと感じている時の人間の感情にここまできちんと寄り添った本もなかなかないと思います。なぜなら、死にたいという感情を感じている人がまず欲しいものは「死ぬための情報」だからです。それを善悪の価値判断なしに冷静に提供してくれる。そうすると気持ち的には読んでいくと逆に落ち着くのです。
この本を読んで死んだ人が絶対にいないと断言することはできませんが、この本で死にたい苦しみから解放された人はたくさんいると思います。
実は、自殺はいけないという考えはそもそも根拠が非常に薄弱です。
たとえばキリスト教は自殺禁止といいますが、絶望的な状況であえて死ぬ可能性が高いほうを選ぶ行動をとるキリスト教徒はたくさんいます。創始者のイエスその人がそういう死に方をしています。自殺はいかんが殉教はよいという理解になるのでしょうが、突き詰めて考えたら、実際的には何が違うのかは謎です。
もちろん社会的には自殺を悪としておいたほうが都合がよいことはいくつかあります。
まず、単純に「自殺に見せかけた殺人事件を抑止する」という意味があります。ドラマでも自殺に見せかけた殺人はよく出てくる話です。政治的には、自殺を悪とする教育をしたり、自殺を助けることを罪として取り締まることは理にかなっているのです。
また、人口の減少は経済活動の減少にもつながりますので、国力の維持という視点では自殺者が大量に出る社会は望ましくありません。貴重な人的資源の浪費だからです。さらにいうと自殺率が高いというのは、社会に非常に強い不満を持っている層がたくさんいるということです。自殺率が低いほうが政治経済がうまくいっている、そういう指標として自殺率を使うことはできると思います。
ただし、そうした政治的な視点を離れて哲学的・精神的な次元で善悪を考えた場合、自殺=悪と一律に決めてしまうことは不可能だと私は思います。
たとえば、神風特攻隊に志願した大日本帝国陸海軍のパイロット達は、自分達が死ぬことで祖国を救おう、自分の死によって家族やふるさとが敵軍に焼かれるのを防ごう、といった崇高な理念のもとに敵軍に対して自殺攻撃をかけました。
彼らの行為を自殺だから悪だとするのは、非常に非人間的な行為だと思います。
あるいは、捕虜になったら敵の手で拷問を受けてなぶり殺しの死刑にされると分かっていたら、敵軍に捕まる可能性が限りなく100%に近くなったら自分で自殺する、というのは合理的な判断になると思います。
実は「自殺=悪」という設定は、例外を探そうと思うとカンタンに事例が出てきてしまうということなのです。