日本には宗教戦争の歴史がないと思っている人がいるようですが、聖徳太子の時代以来、実は宗教が重要な役割を果たした戦争はたくさんあります。ではなぜ「宗教戦争の歴史がない」と言いきる人がいるのでしょうか?
宗教という言葉の定義にもよりますが、この誤解は、おそらくキリスト教勢力に対する仏教勢力の対抗宣伝の結果として生まれた可能性が高いです。
キリスト教の歴史の宗教戦争は確かに非道なものが色々とあります。第四回十字軍などは、事実は小説よりも笑えるいい例です。「異教徒との戦争」にいくために集められた軍隊が、資金難が原因で同じキリスト教の国同士の戦いに転用され、教皇から十字軍全体が破門される有様です。さらに、もともと十字軍に救援を求めていた東ローマ帝国がその十字軍の攻撃によって滅ぼされる、という珍事件もおきています。
ただ、十字軍の時代は11世紀~13世紀くらいですが、日本は平安・鎌倉くらいの時代です。これくらいの時代の日本の僧侶達は神輿をおしたてて武装して宮中へ殴り込みをかける武装デモ(強訴)をやっていたり、実際に戦闘行為をしたりしています。平家物語では平家軍が東大寺を焼き払ったことで悪役にされていますが、この時代の寺社は武家とかわらない部分がありますので、平家が寺を焼いたこと自体は、実はそんなにすごく非道なことだったわけでもありません。
かつてはお坊さん兼戦士という集団が存在して戦っていたのは日本でもヨーロッパでも共通する歴史です。
ヨーロッパのテンプル騎士団と比叡山延暦寺や奈良の興福寺の僧兵は、戦う坊さん集団という意味では同じタイプの組織なわけです。少林寺拳法の映画みたいな戦うお坊さん集団が、普通にいたということです。
戦国時代の石山本願寺は戦国大名と同様の軍事力経済力をもち、織田信長と大戦争を戦っていたのはよく知られた事実です。仏教だけでなくキリスト教の日本人も負けてはおらず、島原の乱という宗教戦争を起こして幕府のキリシタン弾圧に対して組織的に武装蜂起していたりもします。
現代も含めるのであれば、オウム真理教が地下鉄で毒ガスをばらまいたのもオウム側の視点からみれば一種の宗教戦争です。
日本最古の宗教戦争は、仏教を国の宗教として公式に受け入れるかどうかをめぐって争われた、蘇我氏と物部氏の争いでしょう。伝統宗教としての神道と新興宗教としての仏教の戦いとして見ることができます。
この時、聖徳太子は蘇我氏の側にたって戦勝祈願のお祈りをしています。その時に戦勝感謝ということで立てられたのが日本最古の寺の一つである四天王寺(大阪)です。
「この正義の戦いを神が見捨てるわけはない!」的な旗をたてて戦う、聖なる戦争の歴史は日本史の中にもいろいろとあります。
「日本がいかに特別なのか」という話も楽しい話題ですが、「ヨーロッパにも日本にも同じようにある構造」にも注目すると、さらに発想が拡がって面白くなると思います。