ドラえもんにこんな話があります。のび太達が神話の世界にタイムスリップする回なのですが、八岐大蛇という「頭が八つで、尾が八つ」の怪物がいるとドラえもんに聴いたのび太が素直な疑問を口にします。「頭が八つなら、マタは七つのはず。ナナマタノオロチと呼ぶべきだ」と。さて、このなぜに答えられる人は誰かいませんか?
一応古典常識的な正解を言うと、古代語の「八」は実数の8ではなく「たくさん」の意味で使われることが多いからです。八岐大蛇の八、八つの頭という八は、「たくさんの頭を持つ怪物」ということになるからです。
八百万(やおよろず)の神というよく聴く形容詞もそうで、800万柱の神という風に数字としてカウントされたわけではなく、非常にたくさんの神々、という意味で800万という数字が使われています。
八紘一宇(はっこういちう)の8とか、大江戸八百八町の808なんかもそうです。抽象的な「八=たくさん」と翻訳して解釈すべき言葉で、実際の数学的な意味での8として解釈すべき表現ではありません。
一番身近な言葉でいうと、「八百屋」もそうです。商品数が800個ないと八百屋として認められないということはありません。野菜を中心に色んなもの売ってるお店くらいのニュアンスです。
もっとも数学的にこの疑問を解決しようとした人もいます。おろちの首は胴体からわっかになって生えていたという説です。こう解釈すると、頭が8つでマタが8つという風にすることができます。のび太君的にはこの説が一番納得するかもしれません。
星界の紋章というSF小説(アニメ)では、八岐大蛇をモチーフにしたガフトノーシュという紋章が出てきますが、これもヒトデ型です。
円形は円形でカッコイイ八岐大蛇の造詣だと思います。神話の記録なんて詳細なことまで細かくは書いていませんので、クリエイター的にはいかに妄想もとい編集してカッコヨク描写するかが重要な所です。
問題の古事記の文章も一応貼っておきます。
彼目如赤加賀智而、身一有八頭八尾、亦其身生蘿及檜榲、其長度谿八谷峽八尾而、見其腹者、悉常血爛也
「その目は赤かがちの如くにして身一つに八つの頭(かしら)八つの尾あり。またその身に蘿(こけ)また檜榲(ひすぎ)生ひ、その長(たけ)谷(たに)八谷、峽(を)八尾(を)を度りて、その腹を見れば、悉に常に血(ち)垂り爛(ただ)れたり」とまをしき。(ここに赤かがちと云へるは、今の酸醤なり) wikisource 古事記上巻
- 赤かがち(鬼灯)のような真っ赤な目←目は赤だって
- 胴体が一つで、頭が八つ、尾が八つ←問題の箇所です
- 胴体には、苔や檜・杉が生える ←体に木が生えてるらしい
- 体は八つの谷と八つの山にわたる←巨大な体
- 腹は常に赤くただれている ←お腹も赤いらしい
木が生えているという描写は絵的に難しいので浮世絵とかアニメ絵とか、絵になった時は無視されることが多いようです。蛇に近い造型にするか、龍に近い造詣にするかは、画家・イラストレーターの好みが分かれるところですが、私は龍(ドラゴン)的な感じに描かれてるものが好きです。
目をほおずき(赤)にするのは古事記の描写が採用されることが多いみたいです。カッコイイしね。
なんでもそうですが、採用しにくい要素はどんどんカットしてよいですが、採用できる要素はなるべく採用してあげたほうが表現のリアリティーは上がります。