10月は旧暦で神無月(kann-na-tuki)と呼びます。10月は運動会・文化祭やハロウィンなどもあります。伝統イベントでは「紅葉狩」があります。神無月は「神の月」の意味です。「神々が出雲大社に出張会議に行くので地元からいなくなる」という出雲の伝承に由来する説もあります。
衣替え
6月と10月に行われます。もともとは「更衣」(更新の更+衣服の衣)という言葉が使われていました。源氏物語に「桐壺の更衣(源氏の実母)」という女性がでてきます。源氏物語などの時代では天皇の后の身分の一つですが、もとは天皇の「衣替え担当女官」をさして「更衣」と呼びました。
紅葉狩
春の日本伝統のイベントといえば花見がありますが、10月から11月には紅葉狩があります。
紅葉の美しさをうたった和歌に
「ちはやふる神代もきかず龍田河 からくれなゐに水くくるとは」 (在原業平 古今和歌集)
があります。和歌の大意としては「荒ぶる神々が活躍した神々の時代でも、川が紅葉で赤く染まるなど見たことがない」といった意味です。
※ちはやふる(ちはやぶる)→荒々しい・激しいなどの形容詞。品詞分解の一例としては「チ=神の霊力 ハヤ=激しさ フル=降る・振る」となります。
※チハヤブルと濁音で読む例が多いのですが、私は「フル」と澄音にしたほうが上代の雰囲気が出て美しいと思います。読み方的には別にどちらも間違いではありません。
こうした自然を見る行事の起源ですが、もともとは自然を「見ること」によって花や紅葉といった自然の「力」をもらうといった最近で言うパワースポット巡礼的な発想もあったのではないかと言われています。
実際、自然の美しさを見ると元気がでる人は少なくないと思います
>>紅葉が真っ盛りの戸隠鏡池から奥社神社に・4K撮影 (Youtubeより)
謡曲や歌舞伎には「紅葉狩」という話があります。秋の紅葉の名所の信州(長野県)の戸隠山に鬼退治にいく話です。
なぜ見物だけでも紅葉を狩るというのか?
紅葉狩と「狩」の字はつきますが、別に紅葉をお持ち帰りしなくてもこう呼びます。よくある説明としては、次の二通りが見受けられます。
1.もともとは実際に枝を折って持ち帰って眺めて遊ぶものだった。後に、見物だけでも満足するようになった説
2.紅葉見物を、非日常感を出すために「狩猟」に例えて楽しんだのが元である説
古くは春の花見を「桜狩」と呼ぶこともありました。似たようなものだと蛍狩りも、蛍をつかまえてお持ち帰りしなくても、狩りと呼びます。
辞書的な解説はさておき、この疑問に呪術的な視点で回答してみるとこうなります。
3.「(見る事によって)桜や紅葉のマナ(パワー)を手に入れる」すなわち、見ることでパワーをもらいにいくことを狩りと呼んだ説
「見る事で力を得る」というのは現代人でも無意識にやっている人は多いのです。男性で「綺麗なお姉さんが好き」 な人が多いですが、これも綺麗な人を見ることで元気になっているわけです。
さて、そもそも現代人の特殊事情として「枝を折って持ち帰ってはいけません」という常識を刷り込まれていることが多いこと。これが実はこの問題のバカの壁です。
「枝を折ってはいけない」という常識を無意識に刷り込まれていると、「枝を持ち帰って飾って楽しむ」という子供でも思いつきそうな選択肢が、知らない間に盲点になるのです。
「なるべく自分の刷り込まれた価値観を意識化する 」という視点がないと、「見えているはずなのに見えないもの 」がどんどん増えていきます。
10月が旬の食材
きのこ類は全体的にシーズンです。マツタケご飯・栗ご飯、炊き込みご飯なども美味しそうです。まいたけ・しいたけなども旬です。にんじんやジャガイモも旬の時期を迎えます。
果物は、葡萄(ぶどう)・梨(なし)・柿(かき)・林檎(りんご)・いちじくなど。正岡子規の「柿食えば 鐘がなるなり 法隆寺」は秋の句です。山梨県勝沼の葡萄は「勝沼や 馬子も葡萄を食ひながら」と松尾芭蕉の句にも詠まれており、江戸時代から有名だったようです。
お魚は、秋刀魚(さんま)が旬です。落語には「目黒の秋刀魚」という話があります。イワシや鮭(さけ)も旬のたべものになります。
※「旬(しゅん)」って何ですか?
食材の「旬(しゅん)」というのは「一番美味しく栄養価も高い時期」ということです。旬の食材を食べるというのは、伝統的な日本料理の基本的な考え方の一つです。