努力不要論 【書評 | 感想】

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本書の中身は、以下の3行につきるでしょう。→「努力という言葉は人を縛り、無料、あるいは安価な労働力として使いたい人が用いるブラックなレトリックなのです。真の努力とは、本当に目的を達成したいのであれば、広議の努力-適切に目的を設定し、戦略を立て、実行することです。」(本文P57)

上て紹介した3行ですが、120%同意します。実際問題、「努力」がまちがった方向性を向いていることは非常によくあります。上の3行を読んですこしでも「???」と思った人は、この本を10回くらい読んでみることをオススメします。脳科学と題していますが、表現は平易なので中学生でも読めると思います。

そもそも、「目的達成のために必要なことをやること」と「苦しみを味わうこと」は全く120%別な話なのに、「苦しいのが当たり前」的な発想になるのがおかしいのです。

知人が漏らしていたアホみたいな話があります。

新製品開発的な話で「ぽろっと思いついてうまくいった話」をマスコミが取材にきたのだそうです。何も包み隠さずに本当のことを言ったら、マスコミの人から「悪いんだけど、努力して思いついたことにしてほしい」と頼まれたので、仕方なく苦心惨憺して、ようやく思いついたというストーリーを作ったら、そのまま成功者の美談としてメディアに流れたのだそうです。

現代の日本社会に「努力万歳」な価値観がムダに根付きすぎていることのいい例です。

美談としてストーリーを消費するのは自由ですが、実際に成功例をモデリングして真似したい人からしたら、これほど迷惑な話もありません。本当の成功原因が隠されて、「努力と根性」だけがクローズアップされるからです。

単に苦痛を積み重ねる狭い意味の努力より「方向性を正しく見極めること」や「インスピレーション」のほうがはるかに大事なのです。

さて、本書では江戸以前の日本では「遊ぶ」ことが尊ばれていたという記述があったので、
そのネタで使いやすいお話をひとつ。

古文の敬語では「○○遊ばす」という風に高貴な方に対する敬語として使います。

「遊ぶ=素晴らしいこと」という意識があるからこそ、「あそぶ」という言葉が敬語として使われていたわけです。

「努力=素晴らしい」という単純な発想は、明治~昭和の負の遺産と言えるでしょう。

「楽をすること」「楽しむこと」のほうが人間にとって一番大切なことなのです。

努力のような俗事は人間のすることではなく、遊びという聖なる仕事こそが人間のなすべきことなのだ

的な意識を古語からは推測することができます。

 

古語のあそびは、狩猟~宴会~詩歌管弦まで、色々な意味がある言葉です。

人生の意味は遊ぶことであるという大意の有名な歌が下記。

遊びをせむとや生まれけむ(梁塵秘抄)

後白河法皇編纂の梁塵秘抄の歌です。

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サイトの運営方針は「自分とは何か」「日本文明とは何か」という二つの問いへのインスピレーションを刺激する話をすること。人生で大切にしたい事は「遊び・美しさ・使命・勝利・自由」。 なお、日本的精神文化のコアの一つは「最小の力で最大の成果」だと思う。例えば「枯山水(禅寺の石庭)の抽象的アート表現」などは、良い例。

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