刑事が主人公のドラマの中では警察は常に正義の味方です。ただ、現実の警察官はいつも正義の味方ではありません。現代日本は起訴された場合の有罪率が非常に高いのですが、これは検察・警察の優秀さを示しているのではなく、「えん罪が量産されている可能性」を示していると読むのが正確です。
袴田事件の被告は、無実の罪で45年も拘束されたと言われています。無実の罪で人生を奪われたわけで、筆舌に尽くしがたいひどい話としかいいようがありません。事件を担当した裁判官の中には 「有罪判決」に荷担した良心の呵責に耐えかねて自殺をはかったものさえいたようです。
袴田事件では、検察の自白強要に頼る過酷な取り調べの問題が明らかになっています。さらに、「弁護士と容疑者との接見の盗聴」という違法捜査が行われていたことも明らかになっています。
こうしたことを古い話だと聞き流すこともできます。が、現代の警察・検察がこうした非道な捜査を絶対にやっていないと言い切ることはできません。取り調べの全面可視化や自白に頼らない捜査などの制度改革が必要です。
ところで警察・検察内部の制度的な問題も重要ですが、より大きな視点から考えるべき問題がもうひとつあります。
「迷宮入りにするくらいなら、ニセモノの犯人でもいいから逮捕して処刑せよ(ウソも百回つけば真実になるので問題ない)」的な心理がなぜ検察・警察という組織の内部に生まれてくるのかということを考える必要があるということです。
販売会社の営業マンに対しては
「売上ノルマを達成できない」→「上司からぼろくそに言われる。解雇される」
というプレッシャーがかかることがあると思います。
同じように、警察官に対しては
「犯人を逮捕できない」→「上司だけでなく、マスコミからもぼろくそに批判される」
というプレッシャーがかかることがあると思います。
「話題性のある事件となると徹底して煽るが、報道が間違っていたとしても同じボリュームで訂正することは決してない」のがマスコミの特徴です。要は、えん罪は単に警察・検察だけの問題ではなく、「世間の空気」を作るマスコミが共犯になって作り出しているということです。
えん罪事件の悲劇をくりかえさないためには、「マスコミが作りだすバカ騒ぎを冷めた目で見る人間たち」が、世の中的にもっと多数派になっていくことが重要なのです。