江戸の敵を長崎で討つ、の逆で、江戸の恩を長崎で返す、みたいな考え方の薦めです。「人には親切にしておけ」とよく言われますが、「そうすると、関係ないところからやたら親切にされたりするよね」という話になります。体感すると分かりますが、この発想はもっておいたほうがメンタル的に楽になります。
ことわざでいうと「情けは人のためならず、(人には親切にしておけ、必ず回り回って自分の所にも帰ってくる)」という昔からある考え方です。恩送りというのは、「江戸である人にご恩を受けた、長崎で全く関係ない別の人に恩を送ろう」的な発想です。
恩送りという言葉に、「情けは人のためならず」的な発想を組み合わせること自体は、「昔からある発想に、新しい言葉を結びつける」というよくある新語ではないかと推測しています。R社が広めた「女子会」が分かりやすい例ですが、「女友達同士で楽しく遊ぶ」という昔からある習慣を、「女子会」という新しい言葉でパッケージしたのが「女子会」です。
「恩送り」も、20世紀以降に提唱されだした可能性が高いと推測出来ます。江戸時代のものである「菅原伝授手習鑑 寺子屋の段」(文楽・歌舞伎)の本に「恩送り」という言葉は確かに出てくるのですが、ニュアンスとしては微妙に違いますので。
ただ、新しい言葉だから価値がないかといったら、全くそんなことはありません。恩送りは、「昔の智恵を学んで、今にいかす」というカッコイイ言葉の使い方だと思います。
「恩返しより恩送り」「情けは人のためならず」という、親切にされたりお世話になったりした人に直接何かお返しをするのではなく、関係ない所で同じように人に親切にしておこうというのは素晴らしい文化だと思います。
というのは、恩返しをするという発想は、恩には必ず恩で返さなければいけないという義務感や、恩を与えたら奉公してもらわなくてはいけないという発想だからです。一見、問題なく見えますが、「Aさんに親切にしたら、Aさんからお返しをもらえないと、不機嫌になる」という発想ですと、不機嫌になる可能性がやたら増えてしまいます。また、「昔の恩人」が永遠に味方とは限らず敵になることもあります。この場合、恩は返すものという発想しかないと苦悩の海に沈みます。
ところが、「お返しなんぞどうでもよい。純粋に与えるだけである。」という贈与の発想でやっていると、精神的には一切損をしないのでよいのです。お金のために投資をする時、配当をもらうために株を買う時などとは別の発想で、贈与の発想で親切をばらまこうということです。
実際やってみると、根拠は不明ですが「関係ない人に親切にしてもらえることが増える」気がしました。以来、別に何も損をすることもないので無理のない範囲で日常に取り入れるようにしています。
恩返しより恩送り、情けは人のためならず、という利害関係を無視して親切にするという発想は楽しい発想だと思います。恩という債権を回収しなくてはいけないと思うと胃が痛くなりますが、回収してもしなくてもいい、関係ない所から帰ってくるからと考えると、お気楽です。
古代社会は貨幣経済ではなく贈与の経済だったという話が紹介されることがあります。みんなが「贈与をすると、関係ない人から贈与される」という世界観で贈与をしまくっていれば、人の交流さえあれば、それはそれで良い感じの世界が成り立つ可能性があります。