日本古来の伝統宗教としての神道の宗教施設が神社、仏教の施設が寺。鳥居があるところが神社で、仏像があるところが寺。というのがとりあえず答えられる話です。外国人観光客に聴かれたら、一言目にはこう答えると思います。ただ、これって実は神社やお寺が好きな人ほど違和感を持つ回答だと思います。なぜ変な感じがするのでしょうか。
実は、日本の仏教と神道というのは伝統的には融合した世界観を持っていました。日本で一番多い神社は八幡様(はちまんさま)ですが、この八幡の神というのは八幡大菩薩という名前を名乗っていた時期があります。
平家物語(巻十一)に源氏の武将が「南無八幡大菩薩」なんて叫んで矢をはなつシーンがあります。那須与一が扇の的を射るシーンです。(平家物語は13世紀頃の成立と言われています)
これは源氏の氏神(一族の神)が八幡様だったからです。ところで「八幡神」に対して祈る時の「八幡大菩薩」の「菩薩」というのは「観世音大菩薩」という仏様の名前で有名なようにもともど仏教のほうのタイトル(称号)です。
こんな感じで、仏教伝来(六世紀)から明治維新(十九世紀)くらいまで、日本の仏教と神道というのは融合した世界観を持っていたのです。興福寺と春日大社もセットでしたので、今でも神前でお経があげられたりしています。比叡山延暦寺の僧兵が強訴(武装デモ)をする時も日吉神社の神輿をかかげていました。一事が万事この調子で、大多数の神社仏閣では神と仏の世界は融合していた時代が長いのです。
この辺の神仏習合の歴史の話を解説しだすと、たぶん一言で終えることはできません。なので、一言で「神社とお寺の違いは?」と聞かれたら「日本古来の神を祭る=神社、仏教の宗教施設=寺」と言い切るしかないのですが、どことなく違和感がのこる人は実は正しいのです。
寺と神社が隣り合って立っているケースは少なくないのですが、これは寺と神社が同じ施設内に一緒にたっていた中世の建物を、明治時代に文明開化をした時に「このごった煮状態は、やばいので、寺と神社を分けよう(神仏分離)」とした時の名残です。もともと混合していたものを、あらためて分離したので、敷地が隣り合っているわけです。
日本文化の特徴として、禅寺の石庭のような「シンプル・ミニマムな世界」ももちろん大切なものの一つですが、仏教と神道の融合にみられるような 「混沌とした世界」も非常に重要な要素のひとつなのです。