やまとごころ(大和魂)とはなんでしょうか? 時代と人によって多様な意味を与えられてきた言葉ですが、一言で言えば「自然な心」ということになると思います。本居宣長が山桜に例えたのは言いえて妙で、盆栽のような人工的なものではなく、人為を加えていない山桜こそが「自然な心」の象徴としては相応しいです。
なお、自然さとはなんでも昨日と同じようにすることではなく、常に新しくなっていくことです。細胞の新陳代謝と同じで、心も常に新しくなっていくからこそ変わらずにいられるのです。
自分にとって「なにが自然なのか?」ということは「自分自身を知る」ことで理解できるようになっていきます。もう少し具体的に言うと
常に新しくあるためには? → どんどん遊びましょう。
「おもしろいかも」と思ったことをどんどん実験しましょう
自分を知るためには → 歴史や神話といった古いことを学び、自らの好奇心に従って真理を探究し、学んだことを日常に活かして体感で学んでいきましょう
より自然であるためには →左脳と右脳、論理と直観などなど、感性と合理性のバランスを大切にしましょう
「おもしろいかも」と思ったことをどんどん実験しましょう
自分を知るためには → 歴史や神話といった古いことを学び、自らの好奇心に従って真理を探究し、学んだことを日常に活かして体感で学んでいきましょう
より自然であるためには →左脳と右脳、論理と直観などなど、感性と合理性のバランスを大切にしましょう
ということになります。ITに代表される新しい考え方もどんどん取り入れ、一方で古事記のような古い感性も学びましょう。
平安時代は、和魂漢才と言われました。人間の持つ生来の判断力と漢文を学んで身につけた知識のバランスが大切とされたのです。江戸末期から明治にかけては和魂洋才と言われました。日本人の昔ながらの美しい心と西洋の優れた技術とを合わせて学ぶことが求められたのです。21世紀の現代では、インターネットに代表される先進的で合理的なIT的な知恵(理性の世界)と、古代から変わらない普遍的な美学(感性の世界)の調和が求められていると言えます。