反知性主義というのは最初は「人間の知性には限界がある。理性の限界を率直に認識しようじゃないか」などのプリミティブな真面目な意味を含む言葉だったようですが、最近の流行としては「あんたバカァ?」という程度の意味で使われることが多くなっているようです。ただ、このキーワードは「バカ」と翻訳するにはちょっともったいない概念です。
最近の流行に従って「○○は反知性主義」という言葉を批判ワードとして使った場合、要するに「君は、バカかね?」くらいの意味になます。
ただ、この「反知性主義」というのは「あいつらはバカだ」というキーワードとして消費してしまうには少しもったいないキーワードです。
近代文明の限界というのは、「知性や科学の力を過信しすぎたこと」にあるのは否定しにくい話でしょう。
20世紀の社会主義と計画経済という壮大な実験は、旧ソ連が崩壊したことが象徴しているように失敗に終わりました。これは「計画経済」という「人間社会は、一部の人達の計画した通りに動かせる」という仮設が「間違い」であったことを示すよい例です。人間はそんなに計画通りに動かないということです。
「なんでも中央でコントロールしてしまえ」という近代社会のシステムが限界にきていることは多くの人が感じている所だと思います。
映画「スターウォーズ(旧三部作・新三部作)」の実質的な主人公であるダースベーダーは、鎧のような生命維持装置をつけないと生存できないサイボーグとして登場します。現代社会は、人間に対して「サイボーグであれ、超人であれ」と求める面が存在します。要は、誰も信じたくないタテマエを尊重することを強要するような面があるということです。
だからこそ、ベーダー卿の悲劇というスターウォーズのストーリーは、多くの「緩慢に魂が死んでいきつつある現代人」の魂の琴線に響いて、大ヒットしたわけです。あの映画のヒット要因はたくさんありますが、「機械のようなふるまいを強いられている現代人のシンボルとしてのベーダー卿」というのは重要なヒットポイントだと思います。
こういう不自由さから抜け出すためには、もともと使われていた意味での「反知性主義」の概念、つまり「知性の限界を正しく認識せよ」「直観や本能の力を正しく使っていこう」的な話が重要な鍵になってくるわけです。
なので「反知性主義」というキーワードを「あんた、ばかぁ!」という流行語として消費してしまうのは、ちょっともったいない話なのです。むしろ「ロボット人間からの卒業」などの方向に再定義して考察を深めていくと面白いと思います。