「明日あると 思う心の 仇桜 夜半の嵐の 吹かぬものかは」という和歌は、親鸞上人(鎌倉時代前半の僧侶)の作と伝えられています。一言でいうと「永遠に今が続くという幻想」をたしなめ、「人は必ず死ぬのです。諸行無常です。」と言っているような歌です。
世の中に「死を意識しよう」という警句はたくさんあります。それもこれも、人間はこの正しい歴史的事実を忘れてしまうからです。この当たり前をフラットに認識できれば、それだけで、その他大勢の人達とは大きな差をつけることができるでしょう。
「武士道とは死ぬことと見つけたり」は名言ですが、「私はサムライ精神で生きるんだ!」という人以外にはモットーにしにくい所があります。「死を思え」だけでもいいですが、アイディアをそのまま形にしているだけなので、言葉としての美しさがあまりありません。ラテン語で「Memento Mori(メメント モリ)」と言えば少しカッコイイですが、ラテン語だと親しみがわかないのでモットーにしにくいという場合もあるでしょう。
この「明日あると 思う心の 仇桜」の和歌はその点、意外に覚えやすくていいと思います。 「明日も花見ができると思うな。夜中に嵐がふいたら明日には、花はもう散っているよ」という和歌ですので。
要するに「明日は、今日あると思っているものはなくなるかもしれない」という話です。1億円くらいのお小遣いを持っていたとしても、死んでしまったらお金には何の価値もありません。
明日はないかもしれないので、「今できる仕事を今やろう!」とするのも一つの選択ですし、明日はないかもしれないので、「遊べるうちに遊んでおこう!」とするのも一つの選択です。
どちらにしても、 「あれ。。もう死ぬのかあ。こんなに早く死ぬとは思わなかったな~」という日は必ずやってきます。明日という日が本当に来なかったとしても後悔しない選択をし続けることが、最高最強の正解です。