特にマナー・自己啓発・心理学・スピリチュアルなどの世界を見ると、「スマイル=0円」が仮面のように張り付いている人や、「テンション高く=0円 」が仮面のように張り付いている人をたまに見ます。もちろん「人前ではゴキゲンな雰囲気で」というのは大切なことです。が、仮面のように張り付いた笑顔は気持ち悪くみえてしまいがちです。なぜ気持ち悪く見えてしまうのでしょうか。
まず、気持悪さというものを分解して考えて見ましょう。
1.「世界観が違う人からみると気持ち悪い」
2.「キャラとしての姿」が機械人間みたいで気持ち悪い
だいたいこの2パターンになると思います。
1つ目の「世界が違う人から見ると、気持ちがわるい」というのはどうにもなりません。むしろ、世界が違う人からは気持ち悪がられるほうが、本人の幸せや成功は近くなると思います。
例えば、宗教活動を情熱的にやっている人は、異教徒からみたら「気持ちが悪い」に見えますし、下手をしたらテロの対象になることもあると思います。
熱心なアニメオタクがいて、アニメのDVDやブルーレイを「自分用・友達に貸す用・保管用」と3箱づつ買うのが習慣になっていたとします。これもアニメオタクでない人からは「気持ちが悪く」見えます。
学校時代で言うと、たまたま素で勉強に興味があって趣味が勉強だった人は、そうでない人から見ると「気持が悪いガリ勉君」に見えるものです。
会社員でいうと、たまたま素で好きな仕事をやっていて24時間戦えますモードになっている人は、そうでない人から見ると「気持ちが悪い社畜」に見えるものです。
こういう「気持ちが悪く見える」のは、悪く見られることを許容するしかありません。人間の性質がイロイロである以上、絶対にどうにもならないことだからです。他人の視点など気にせずに、突き進むのが一番よいと思います。
また、住む世界や立位置が変わったらキャラも変わるのは当然のことです。どんな強面のおっちゃんでも、親のいる実家に帰ったらいつまでも子ども扱いされるでしょう。が、子供キャラのままでお仕事できないですよね、という当たり前の話です。
ただ、2つ目の2.「キャラとしての姿」が機械人間みたいでつまらない、というのは仕事キャラの設定が、三流芝居になっている可能性があるので注意したほうがいいでしょう。
おそらくやってることが、あまりにテンプレート通り過ぎてスターウォーズのベーダー卿のような機械人間のように見えてしまうわけです。銀河鉄道999のテツローではありませんが、最終的には機械の身体はいらないのです。
この場合、人間的な遊び感覚の欠落を埋めていくことが必要になってきます。