この手のカタカナ語の表記ゆれを考える時に知っておきたいのは、辞書がいつも正しいとは言い切れず、大衆の声は神の声というシチュエーションも少なくないということ。そして、「どれでもいいから、同じ文書内では統一してくれよ」という話です。原語に似た発音を正とすることが、実はバカバカしいということも理解しておく必要があります。
たとえば
コミニュケーション
コミュニケーション
ちいさいユを何処におく表記が正しいのかという話があります。
英語を基準にしするなら
communication
なのでコミュニケーションのほうがやや近いです。辞書をひくとこっちが正しいとしているようです。ただ、日本語として発音するとかなり言いにくいので
コミニュケーション
も広まっているわけです。口頭だとこちらのほうがよく聞く気がします。
もともと英語をカタカナにするという時点でいい加減ですので、こういうのは正直な話をすると「我が輩が辞書である」という発想でエイヤで決めていいと思います。googleの検索数などを参考にするのもよいでしょうし、説明が必要なら思いつきで結論を決めてから根拠を探してひっぱってくればいいような話だと思います。
プレゼンなどなら、もし普段からコミニュケーションと発音する人ならコミニュケーションと書いておいたほうがよいと思います。逆なら逆で。辞書的な正しさよりも、言文一致(言葉の発音と文章が同じ)であることのほうを重視したほうがよいと思います。
他人に頼まれて他人のために書くような文章なら、自分ではなく相手の基準を想像して決めればいい話だと思います。結論は向こうに決めてもらえばよい話ではないかと。
ただし
「同じ文書の中で混在させるのはなるべく避けよう。読みにくいし、検索もしにくいから」
とは思います。そこは普通の作文ルール通りにするのがよいと思います。
英語のsimulationをシミュレーション(英語の発音に近い)にするのかシュミレーション(日本語としてわりと見る)にするのか、というのと似たような話で、「別にどちらでもいいでしょう。日本語が読める人なら、どちらでも認識できるよ。」という話です。
たまに鬼の首をとったように、communicationの日本語表記はコミュニケーションが正しい、simulationの表記はシミュレーションが正しい、と断定する人がいます。ただ、正直、表記ゆれの校正にそこまで熱をこめて正義感を発揮する必要があるのかという気がしてしまいます。
というのは、音声が聞けるネットの無料の英語辞書ででも確かめれば分かる話ですが、外国語の原音そのままを正しいとするなら、日本語のカタカナ語の大半は、厳密に言うと120%間違ってます。ですから、小さいユの位置の違い程度の多様性は許容しようよと思うわけです。
余談ですが、人間は「発音しやすいように発音する生き物」なので、基本的に「言語は、発音が楽なほうに変化していく」という大きな流れを止めることは出来ません。1000年前の日本語の発音など、学術的に復刻されたものを聞くと、現代から見たら外国語同様です。