「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」は第二次大戦中(大東亜戦争)の日本でお役人が活用したキャッチコピーです。戦争の状況が厳しくなっていき、生活物資がたりなくなって国民生活が窮乏するなか、「(ものがない?)我慢しろ!」というだけでは能が無いので 「(ものがない?)工夫しろ!」といったわけです。
この種の言葉の扱いが難しいのは、状況によって正しかったり間違ったりするということです。状況によっては意外に正しいことがあります。とはいえ、単なる無茶ぶりだと説得力が低くなってしまうので要注意です。
最近でも失業している若者に対して「仕事なんか選ばなければいくらでもある。自分の頭で考えるんだよ。ばか。」的なお説教をする人が少なくありません。正しいと言えば正しいのですが、世の中には 「単なる努力不足で不幸な人」もいれば、「構造的な原因で不幸な人」もいるわけです。
それを何でもかんでも「個人の努力と工夫がたりないからだ」としてしまうと、「そもそも社会の構造が悪い」というもう片方の面が見えなくなってしまいます。
男子校の中に女子が数人という状況の場合、女子の側は誰でもモテます。しかし男子の側は校内恋愛のハードルは異常に高くなります。こういうのを構造的な問題といって、本人のせいではない不幸というのはこの種の話です。
社会全体の構造や流れが悪い場合には、個人の工夫ではどうにもならないことはあります。ただ、世の中を変えるというのは大仕事なわけで、今できることをやるという意味では「頭をつかって、自分ができる工夫をして、とりあえず生き残る」というのも大事です。
ちなみに、「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」と官憲のポスターに対して、当時の民衆は「工夫」の工の字を消してしまい、「足らぬ足らぬは夫が足らぬ」だと、しっかり頭を使った反撃した模様です。(夫が足らぬ→徴兵で男がみんないなくなったから、世の中がおかしくなるんだよという政治批判)