異端(正統派でないもの)を学ぶのは有害なだけだとする解釈と、異端(自分と違うもの)を攻撃するのは有害、とする解釈があります。が、実はこの名言はまた別の解釈もあってそれも意外に面白いです。
「子曰、攻乎異端、斯害也已矣。 」(論語)
この文章には主に二つの古くからの解釈があります。
1.正統主義
「子曰く、異端を攻(おさ)むるは斯(こ)れ害のみ」と訳して、正当でない教え(異端)を勉強しても、害になるだけ。
ビジネスの視点でいうと、「秒速で1億円稼ぐ」みたいなキャッチーな手法に次から次へと飛びついてもあまりいいことはないよ、ということです。
2.寛容の教え
「子曰く、異端を攻(せ)むるは斯れ害のみ」と訳して、自分と異なる説(異端)をいちいち攻撃しても害になるだけだとする解釈もあります。
コミニュケーションの視点ではこの視点も重要だと思います。意見が違うからといっていちいち攻撃していたら日が暮れます。
ここまでの二つがよく聞かれる解釈です。
なお、マニアックな解釈としてはこんなものもあります。
3.攻撃主義
「異端(異分子)を攻撃して滅すことで害がなくなる」という攻撃的な解釈もあります。
明の初代皇帝朱元璋はこのノリで反対派を徹底弾圧して建国の基礎を固めました。状況によっては「異端は殲滅せよ!」というぶっとんだ発想が必要な時もないとはいえないでしょう。
「異端」というのは、自分たちを正当化して相手を攻撃する時によく用いられる言葉ですが、「正統は私の意見であり、異端は他人の意見である」というワーバートンの名言がこの言葉の性質をよく表しているように思います。