このシリーズは、自分の内側から元気がわいてくる自家発電タイプの人間を目指そうというシリーズです。大人になると小さい子供のように、何にでも感動したり感謝したりすることが減っていきます。ただ、実は当たり前の中にはとんでもないことが隠れていることがあります。
たとえば、アフリカの奥地かどこかの途上国の外国に行ったとイメージしてみてください。
蛇口をひねればすぐに一応飲める水が出てくるとか、電気や電波がきちんと供給されていて好きな時にインターネットで遊べるとか、電話がどこにでも通じるとか、道路が整備されていて車でどこでも気軽に出かけていけるとか、
当たり前に見えて、実は他の場所にいったら全く当たり前でないことはたくさんあります。
たとえば、日本では松屋や吉野屋の300円台の牛丼のおまけのお味噌汁でもそれなりに美味しいですが、これは日本国内だからこそです。逆に、ビールやソーセージなどは東欧に行くと日本で言うスーパーホテルや東横INクラスの安宿でもかなり美味しいです。
水道の水がカルキ臭くて不味くても一応飲めるというのは日本に住んでいると当たり前ですが、一歩海外へ出ると全く当たり前ではありません。
都会にいるとスマホの電波がどこでも届くのが当たり前に感じますが、少し山奥にいくとこれも当たり前ではありません。
当たり前に見えて、実はすごくラッキーなことというのは色々とあるわけです。
会社員だと毎月一定額のお金がもらえるという前提で勤務しているわけですが、これも固定収入や有給休暇というのはフリーランスの人からみると非常に美味しい話に見えるわけです。もちろん、フリーの人は土日に働いて平日に遊ぶことができるなど、多くの会社員にはない自由もあります。どちらからみても、隣の芝は青く見えます。
自分の世界の当たり前に意図的に注目して、演出として喜んでみる。一歩間違えると怪しい新興宗教のように見えてしまう発想ですが、実は「当たり前」なものの中に「感謝してもいいもの」はたくさんあるわけです。神道の世界では食前にいただきますの和歌を唱えるそうですが、日々の食事ひとつとっても実は感謝してもいいものなはずです。
元気がない状態にいる時というのは、世の中全て暗く見えているものです。ただ、同じ世界に住んでいてもなぜかいつも元気な奴らが存在します。それは物事の明るい面を見る習慣がついているからです。
意図的に明るい面、感謝できる面、を見つけてわざとらしく感謝する。こういう心の中の習慣をつけてしまうと、小さなことで喜べるようになるので元気の源がどんどん増えていきます。
実際に有り難いかどうかは脇に置いて、元気を充電するための方便として「お坊さんのように全てに感謝する」ふりをするのはメンタルマネジメントのテクニックとしてオススメです。
やってるうちに、本当に坊主やシャーマンのような 「山花草木、全てに感謝を」的なメンタリティーが強くなってしまう人もいるかもしれませんが、それはそれで幸せな毎日になると思いますのでこのテクニックのデメリットは特にないと思います。
追記
このシリーズは会員向けメルマガバックナンバーのアレンジです