20年後か200年後かは誰にも分かりませんが、このまま技術革新が進んでいけば、人間は働く必要がなくなるでしょう。要するに、毎日が日曜日になるのです。そうすればみんなが「好きなことしかできない世界」があっという間にやってくるでしょう。
1947年施行の日本国憲法には「勤労の義務」という意味不明な規定が差し込まれていますが、あれは何の価値もない条文の一つだと思います。
「仕事を義務である」というのは、わざわざ憲法の条文にするメリットが全くありません。「仕事は神聖な苦行である」と主張して「奴隷的環境での苦行」を強いる、カルト宗教的なブラック企業に変な正当性を与えてしまうだけでしょう。生活保護の不正受給などは全く次元が違う話です。
さて、具体的になぜ人間は労働の必要がなくなるのかというと、労働や作業は全て自動化して全てロボットがやるようになるからです。
現実に、多くの分野でロボットによる労働というのは現実になっています。図書館でも書庫から本を運ぶのは機械がやるようになっています。アマゾンのような大規模な通販会社の倉庫もそんな感じになっています。
要するに人間はほとんど労働する必要がなくなっていくのです。ロボットの製造やメンテナンスも全てロボットにやらせていけばいい話です。
農業も漁業も全てIT化が進み、ドラえもんや鉄腕アトムのような人間並のロボットによって行われるようになるでしょう。介護もドラミちゃんのようなロボットがやってくれるようになるでしょう。医療も人間並のロボットが行うようになるでしょう。
全ての業界で、人間のよき隣人としてのロボットが「労働」と名のつくものを全て引き受けるようになるでしょう。そうすれば「働く義務」などというものはこの世界から消滅します。
そうはいっても、仕事が楽しい人はどうすればいいかというと、お金が発生するしない関係なく好きな仕事をすればいいだけです。
例えばプログラミングが好きな人はお金になってもならなくてもやるでしょう。職人や芸術の世界の人などがいい例ですが、「カネになるならない関係なく何かをしたい」という情熱がある人達は世の中には意外とたくさんいます。教える仕事をしている人も、少なくない数の人が「カネが発生してもしなくても教える活動を続ける」可能性が高いと思います。
世の中には 「仕事の報酬は仕事」という幸せな状態になっている人が少数派ながら意外といるからです。これからの世界はそういう人達だけが、仕事活動をすれば世の中全体が何の問題も無く回るようになっていくと思います。
また、恋愛中の人達を観察すると分かりやすい話ですが、多くの人間には「相手に喜んでもらうこと=自分の喜び」という欲求がそれはそれで心の中に存在しています。なので、義務としての仕事などという設定がなくても、実質的に「人の役に立つことをやりたい」という人の数はかなりの数になると思います。
誰もやりたがらないことがあったらどうするんだというのがお約束の突っ込みですが、それこそ仮にそういう仕事が余ったらロボットがやるように持っていけばいい話です。
「生活のために働かなければ生存できない人達が多数派である」という状況が変わることで、文化や学問や科学技術などなどの発展速度はかえって上がっていくと思います。
一方で「人間はいかに生きるべきか」といった哲学的・精神的な問いへの回帰はますます進んでいくことになるでしょう。