宝石商は金持ちが増えると仕事が増えます。医者は病人が増えると仕事が増えます。だからといって、医者は悪人で、宝石商は善人、という判断をする人はいないですよね?
よい医者は「医者が必要とされなくなる社会がよい社会」と思っているものです。
TVや舞台で悪役を演じるのが得意な役者が、日常でも極悪非道な悪人だと思う人はいませんよね?当然、演技と本人の性格は別物です。
別の例えをすると、
看護婦さんが患者に優しくするのは、仕事上それが必要だから。仕事以外でも天使のように優しくしてくれるかといったら、必ずしもそんなことはありません。
徴税の仕事をする役人は、たいていの人にとって嫌な存在です。ただ、彼らは、別に人柄が悪いのではなく、単に与えられた仕事をしているだけです。
>>参考
今日の話の元ネタは韓非子からです。韓非子にはこんな例え話がのっています。
車づくりの職人は「みんなお金持ちになりますように」と願っている。 棺桶屋は「人が死ぬように」と願っている。 これは車づくりの人間が善人で、棺桶屋の主人が冷酷な人間だからではない。 人が金持ちにならなければ車は売れない、人が死ななければ棺桶屋は商売にならないからという名言を残しています。
故輿人成輿則欲人之富貴,匠人成棺則欲人之夭死也,非輿人仁而匠人賊也,人不貴則輿不售,人不死則棺不買,情非憎人也,利在人之死也 (備內第十七)
「葬儀屋は人が死んでほしいと願う。高級車を売る人は金持ちが増えてほしいと思う。」
こういうホンネトークの話をすると一部の人からは嫌われますが、実は常識として押さえるべき発想です。
人間は悪人でも善人でもなく単に人間なのです。善悪を西洋的に二元的に分けるのではなく、「人間は善でもあり悪でもある」とするのは日本的な発想のコアなので、性悪説と性善説はともに学ぶことが大切です。「ありのままの自分」という言葉が定期的に流行しますが、ありのままというのは「善悪で裁かないで人間は人間である」と認識するということです。